いつもお読みいただきありがとうございます。
男鹿線&五能線のキハ40・48形が2021年3月12日をもって引退。
今回はずーーーーっと利用していた男鹿線車両のラストランを見に行ってきました。
車両に対する感謝の気持ちを綴っていきたいと思います。
- 男鹿-秋田間を結ぶ男鹿線とは?
- 引退する車両を見てきた感想
- キハ40/48形に替わる新車両とは!!
ありがとう男鹿線キハ40・48形!!
小学生から社会人1年目の夏までは男鹿の実家で暮らしていたので男鹿線には本当にお世話になりました。
大人になっても車を所有していないので帰省の際は未だに利用しています。
男鹿線とは
男鹿線とは、秋田駅と男鹿駅を結ぶ路線のことで9駅を経由します。
その歴史は古く、大正2~5にかけて全通しました。当時は船川線と呼ばれていましたが、1968年に男鹿線へ改称。
先日まで走っていた車両は昭和後期に作られた国鉄キハ40系気動車(ディーゼル動車)です。
そっか、国鉄時代からずっと走ってくれていたんだね。
2017年にはダイヤ改正に伴い蓄電池電車EV-E801系『ACCUM』が投入され日に数回運行されていました。今回3月13日からは全てのダイヤでこの『ACCUM』が走ることになります。
男鹿線の思い出
小学生のころ秋田県は男鹿市へ転校してきてからのお付き合いです。
地元は自然がいっぱいで遊ぶところには困らなかったけどやはり高学年にもなればませてくるもの。ショッピングやカラオケなんかに行くために船越までは電車を利用していました。
当時は男鹿駅にはこけし亭(蕎麦屋)やキオスクなんかも入っていて相応の賑わいでした。陸橋を渡れば駅裏にはローソンもあるしね(*´▽`*)1時間に1本しかないダイヤでも時間潰すのに苦はなかったな。
車内は今よりは全然喫煙者に甘々だったので、椅子のひじ掛けには灰皿が付いていたよ。懐かしい。
中学生にもなれば、秋田市まで足を延ばすこともしばしば。駅ビルやフォーラスでのショッピング、プリクラが楽しみでした。現在は自動改札だけど当時は秋田駅も駅員さんの手渡しだったな。男鹿駅は今もだけどwwwwwww
高校からは電車通学だったので毎日乗車していました。
男鹿線は雨にも風にも強いので、奥羽本線や羽越本線が止まってしまうような台風や豪雪でも普通に走っていました。
おかげでどんな悪い天気でも休校にならないwwwww
ラストラン見に行って来たよ~!!
12日は夜のホームにお別れに行ってきました。ファンの方々はお昼の内にお別れしたとは思いますがそれでも鉄ちゃん達がちらほら。一般の方も男鹿線から降りて最後に写真を撮ったりと別れを惜しんでいる様子だったよ!!
このクリーム色と緑色の車体が本当に印象的です。
もう見られないと思うと寂しいや(´;ω;`)
正面はこんな感じ。ライトが点灯されていると『まだまだ走れるよ(`・ω・´)』と言っているようで切なくなります。
改札の中には車両に対するメッセージカードも掲示されていました。
左側がJR職員から。この車両は運転が難しかったというのが伺い知ることができます。
右側は乗客たちからのもの。本当に愛の溢れる言葉ばかりです。
既に用紙が皆無だったので私は見るに留まりました。
まとめ
- 男鹿線は秋田-男鹿を結ぶ路線です
- 運行していたキハ40系は2021年3月12日をもって全面廃止
- 13日からは蓄電池電車『ACCUM』が引き継ぎ運行を開始します
いかがでしたか。今回は引退するキハ40系のお別れに行った時の写真とともに思い出を綴りました。
男鹿に住んでいると電車は男鹿線しかないので本当によく使いました。
1時間に1本しかないけれど、花火大会の時は増発してくれるしONRF時も沢山の人であふれていたよ。
初めて『ACCUM』に乗った時は、2車両で赤と青。両車両とも長椅子でした。男鹿線は通勤通学の時間帯は最大7車両くらいまでにはなるんだけど赤青交互に連結させるのかなー。ボックス席はしっかり用意されるんだろうか。
寂しさも大きいけれど、新車両への期待も同じだけあります。
男鹿線ご利用の際はたまーにでもキハ40系の事を思い出してくれると嬉しいです。