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男鹿市といえば、なまはげがユネスコの無形文化遺産に登録されたのが記憶に新しいですね。
※登録されたのはなまはげを含む来訪神
赤神神社はそんななまはげにも縁の神社です。
今回は、転勤が決まりコロナ禍でいつ帰省出来るかも分からないという事で3月という寒々しい季節ですが、実家へ立ち寄った帰りに旦那と参拝してきました。
過疎化が進み観光も下手な男鹿市ですが私が子供の頃はそれなりに活気もあった五社堂です。この記事では現在の様子や御朱印の頂き方などをまとめています。興味のある方は参考にしてみてください。
- 赤神神社の由緒
- ご祭神やご利益など
- 御朱印について
- アクセス
Contents
赤神神社 五社堂の魅力を紹介!!
男鹿市の岩が切り立った海岸沿いにありさらに山を登った先にあります。
⛩登山道入り口⛩
真山・本山・毛無山を歩ける登山道の入り口でもあります。真山神社の登山道入り口と繋がっているよ!!
入口には江戸時代に描かれたとされている男鹿市の男鹿図屏風。現在はこの図ほど栄えていませんorz
⛩登山道入り口の⛩
鳥居があるから結構すぐあると思うじゃん?wwwww
⛩999段の石段⛩
参拝するにはこの石段を登っていきます。15分程度です。
ここには鬼の伝説があり、なまはげの由来とされています。
九九九段の石段とナマハゲの伝説
その昔、中国の漢の武帝が海を渡って連れてきた五匹の鬼たちが、作物や娘たちを略奪するなど村を荒らし回り、これに困った村人たちは「一晩で五社堂まで千段の石段を積み上げる事が出来れば娘を差し出す、出来なければ村を出ていく」という約束をさせました。鬼たちがあっという間に999段積み上げ、あと一段というときに村人が機転を利かせ一番鶏の鳴き真似で夜明けを告げると、それを聞いた鬼たちは驚いて逃げ去り、以後二度と姿を現さなくなったということです。なまはげ館HPより引用
しかし、鬼が乱雑に積んだので1段の基準とは・・・?状態です。ゴツゴツしているし高さも揃っていないので歩きやすい靴で参拝するのがおすすめ!!
ちなみに3月なので枯れ木っぽいですが、春夏は青々とした木々の中で森林浴も楽しめます。
石段の先にはまた鳥居がありいよいよ境内です!!
拝殿に行くまでにもいくつか面白いのもが残っているよ。
⛩御手洗の池⛩
こんなのあったっけという感じです(´・ω・`)
当時は池の周りに熊野堂や馬頭観音堂など数々のお堂があった模様。参道には当時の建物の基礎が多く残っていますが池周辺の基礎は失われているとのこと。残念。
⛩姿見の井戸⛩
ちょいホラーな不思議な井戸だよ!!
ていうか『井戸』っていう存在がもうちょっと怖いwwwww
私が子供の頃の記憶だと、『井戸を覗いて姿が映らなければ3年以内に死ぬ』と聞いています。3年後の姿を映しているので映らなければ3年後は生きていないんだって!!
ちなみに私も旦那もちゃんと映ってた♡
山中にありますが、井戸の中は落ち葉やゴミもなく澄んでいて綺麗な状態でした。
⛩逆さ杉⛩
社務所の中に安置されている杉の木。↓案内板は社務所の壁に貼り付けられています。劣化が著しい。
どういうことかというと、上記の通り村人との対決に負けた鬼が腹いせにその辺に生えていた千年杉を一気に引きちぎり逆さにして地面に突き立てた、との事。
何も悪くないのに八つ当たりで逆さまにされた杉カワイソス(´・ω・`)
⛩拝殿⛩
そしてこれが拝殿。3月なので寂しい感じですが、本来は後ろも木々が生い茂りまさに自然の中にある神社という感じです。
同じ造りのお社が5つも並んでいるって相当珍しいらしく、国の重要文化財に指定されています。
由緒
くっそwwwww古すぎて読みにくいですが、↓こう書かれています。
赤神神社の創立は極めて古く、赤神は漢の武帝の飛来したところと伝えられ、貞観二年(860)、慈覚大師がここに日積寺永禅院を建て、赤神をその山神としたという。
建保四年(1216)に源実朝は堂社をことごとく比叡山に模して造営したとされている。
その後、応安五年(1372)に安倍高季によって修復され、元和三年(1617)拝殿造営、寛永十五年(1638)、寛文二年(1662)再興、延宝三、四年(1675~76)には堂全体の造営があった。
現在の社殿は、秋田藩主第四代佐竹義格の命により大久保小左衛門が普請奉行となり、宝永四年(1707)から七年(1710)にかけて建替えられ、江戸中期様式を示す建築である。
五社は、向かって右側から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂で、五棟とも格桁行二間、梁間三間一重、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、唐破風造、鉄板葺の建造物である。
中堂は、逗子をおさめるために他より大きい。また、同型式の社殿五棟が山中に横一列に並んで現存しているのは極めてまれである。
この地は、平安時代末から天台宗山岳仏教の修験道場として発展し、後に真言宗に改宗、藩主から多くの神殿を寄進され、衆徒の存在も知られ、おおいに栄えていたが、明治になり神仏分離令により赤神神社として残る。
かなり歴史が古く、修復や再建を繰り返しているところから信仰の厚さが伺えます。
御朱印
何度も来ていたけどそもそもこんなところに社務所なんてあったか・・・・?でも小学生以来の参拝とはいえさびれ具合から新しくもない様子なのできっとずっとあんたんでしょうね(´・ω・`)
『令和3年』までは入れてくれています。他、お守りやお札なんかもあったので社務所の窓を自分で開けて備え付けのミニお賽銭箱に金額を投入したら頂いてもOKです。
※御朱印は¥300で1枚!!何枚も持って行く輩がいるらしく注意書きがありました。納めた金額分だけ頂いていくようにしよう。
初穂料¥300
『奉拝』の文字がなく、右側に日付を入れる珍しいスタイルです。
筆ペン久々に持ったけど震えるわwwwww
どんな神様?ご利益は?
- 五穀豊穣
- 勝利祈願
- 金運招福
など!!
特に、鬼に勝った村人たちの伝説から勝負運には是非あやかりたいところです。
- 赤神山大神
- 十一面観音
- 瓊瓊杵尊
wikiによると瓊瓊杵尊を祭神としているという説もありますが、公式サイトでは赤神山大神とされています。だけど公式サイトが機能していないんだよね。男鹿のあかんところはこういうところだよね( ;∀;)
もともと赤神山日積寺禅院を建立したことが起源とされており神仏習合より神社として確立したため、その名残から仏様も祀っているようです。
※神様については後日追記致します。
瓊瓊杵尊
赤神山大神
十一面観音
思い出
子供の頃はよく『お山かけ』イベントで行っていました
私が小学生の頃、よく親や妹と半ば強制的に参加させられたイベントです。
朝から市役所へ集合し、市の手配したバスで真山神社の横の登山道から真山・本山・毛無山を縦断するというもの。
途中自衛隊基地がありドリンクを振舞ってくれるので持参したお弁当でお昼休憩。登山中は開けた場所もあるので男鹿の海を見渡せる絶景ポイントで写真を撮るのがオススメだよ。
最終的に五社堂をバックに参加者で集合写真を撮るのが一連の流れです。
何度か参加しましたが、夏前だった気がします。暑い~orzというよりは清々しい気持ちでした。
結婚式で使う写真探すためにアルバムみたら何回か参加してて草。
両親へ聞いてみたところ、現在は開催されていないんだって。当時の参加者は皆老人になったし私世代は皆県外か・・・高齢化&過疎化というやつですね。
旦那と最後の男鹿ドライブへ
旦那と結婚してからいつかは県外に行くと思って、春になったら『男鹿1周観光しよう』と約束していましたが急な異動辞令(;^ω^)
首都圏方面なので車は手放すつもりで実家へ行った帰りに男鹿をドライブしてきました。五社堂やゴジラ岩などメインどころしか見られなったけど最後の思い出になったよ。
ていうか、お山かけ以来だから小学生以来の参拝でした。
アクセス
📪 |
〒010-0535 秋田県男鹿市船川港本山門前祓川35
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☎ | 0185-24-9141 |
🌎 | 赤神神社 五社堂 | 男鹿の観光スポット | 男鹿なび (oganavi.com) |
🅿 | 有りですが登山道入り口にある為、五社堂までは石段を登り15分程度です |
『おが潮風街道』沿い。登山道入り口まではバスも出ています。本数少ないけどwwwww
まとめ
- 赤神神社五社堂は男鹿のなまはげ伝説ゆかりの神社です
- 境内は市指定遺跡で貴重な遺跡がある
- 社務所は無人ですが御朱印や授与品は購入できる
- 登山道の道中にあるので歩きやすい靴で参拝しよう
いかがでしたか。今回は男鹿市でも有名なパワースポット、赤神神社五社堂についてまとめました。
五社堂は上記の通り、市をあげたイベントで立ち寄るほか、小学生の頃は遠足へ出かけるほど地元民にとっては親しみ深い神社です。
ですが、3月という事を差し置いても目立つさびれ具合に少々の不安がありますが、この先も何十年・何百年と遺していきたい場所だと改めておもいました。